talion gallery

逢坂卓郎、鈴木ヒラク
「地表より遠く離れて」

2011.11.19 – 12.28
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Exhibition Statement
私たちは、奇妙な地表の上に存在している。均質で仮想化されたはずの世界には、またたく間に瓦礫の山が堆く積まれている。歴史の規定性が失効し、それぞれの生と抵抗の舞台となるはずの地表には、大いなる不確実性の埋め合わせとして、市場の替わりに国家が、自治の替わりに利益配分が、シミュラークルの替わりに真実が、願い求められている。言うまでもなく、こうした人間的な願いは、外界と内面の境界性が失われたポストヒューマンの地平にあって、概念的な被膜を持たずに熔融していく。この地表に表れるのは、概念的なものでも視覚的なものでもなく、イメージとシンボルが相補的に重なり合った奇妙な混成物であり、そこで私たちは出所不明の情報が通過するノードやインターフェイスの集積として、信号的かつ審美的に振る舞うこと以外に、その存在をカウントされることがない。
イメージとシンボルが不可分に折り重なった単一の表面。19世紀末の複製技術の発明が用意したこの表面は、メディアテクノロジーの発達によって世界に浸透していったスクリーンである。美術という営為が、イメージのシンボル化、シンボルのイメージ化に多くの時間を費やしてきたとすれば、美術はこの単一の表面に足を掬われ、視覚文化の一つに回収されざるを得ない。20世紀以降の美術は、このようなイメージ=シンボルのウロボロスの環を切断しようとする、必死の抵抗として辿ることができる。しかし、20世紀末の情報技術の展開において、この単一の表面は、余すところなく世界を覆う、グローバルな地表となった。私たちの地表は、このようなイメージ=シンボルの被膜に覆われている。それは夢想されたユートピアではなく、すでに私たちを取り囲む風景であり、都市であり、あらゆる芸術的実践の条件なのである。
もしこのような地表において芸術的実践が可能だとすれば、それはどのようなものとして現れるか。地表からの離陸あるいは陥入としての美術。この可能性を示しているのは、鈴木ヒラクが描く一連の図像であり、逢坂卓郎が照らし出す光である。人工照明による芸術実験を繰り返すライトアーティストの逢坂卓郎は、宇宙放射線を検出するLED装置によって、闇よりも濃い光を照らし、地表を不可視化するすべを得た。それは、自然と人為、芸術とテクノロジーの差異を反転させる光明であり、私たちを見知らぬ場所へ連れ去る福音である。時間と空間さえ漂白されたその位相に現れるのは、鈴木ヒラクによって描かれる図像である。それは、地表ではなく断層に刻まれている。表面の連続性を掘り起こし、地表が断層として現れるまで切り刻む、陥入としてのドローイング。そして、掘り起され切り刻まれたイメージとシンボルの断片は、その母胎たる情報空間ではなく、その他者である物質へと、差し戻されるのだ。このような二人の実践によって示されるのは、一般に美術が事物や出来事として考えられているのとは逆に、現在において想起され、事後的に知覚されるような何かである。空間的に拘束されるものではなく、その断片や関係性でもない。時間に位置を占めず、誕生しつつ消滅するもの。つまり私たちに与えられたのは、断絶が持続するときの美的なノイズであり、そのような不可視のシグナルに対する、審美的な受容の次元なのである。
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